1.1.14 矢郷 桃
縁あって、ここで通信を書かせて頂けることになった。
なに通信としよう?と、しばらく考えた。
答えはまだ明確ではないけど、一年終わりの日にこれを書いてみてる。
私の住むところは、日本、東京の世田谷。
世田谷の中でも下北沢に仕事場があり、日々そのあたりをうろうろしている。そして、ここは私の育った近しい場所でもある。
下北沢という街は、二つの線路が交差し、その周りを入り組んだ道がうねうねと走る。若者の街とも言われ、劇場、ライブハウス、雑貨屋、カフェや飲み屋などの小さなお店が、うねうねとした道のところ狭しと並ぶ。
道沿いに、それぞれのお店は車が通れる限界まで看板や露天を出したり、休憩のベンチや灰皿も見つけることができる。
車が通ると歩行者から、どこ車入ってるんだよと、うとんがられて(車が通れる道なのに)、運転手はたぶんこの街に車で来るのはいやになるだろう。
その下北沢も昨年大きな変化を迎えた。
クロスする二つの線路のうち一つが春に地下化になり、地上の線路のある風景が消えた。なかなか開かないことで有名だったこの踏切の景気ももうない。
開かずの踏切の横の八百屋。
下北沢唯一の八百屋だったけど、ここも今年の暮れに閉店した。
道路の限界まで露天を出す代名詞的存在。
八百屋の道路の反対側の線路脇も仕事のスペース。
新しいものをただ売るというだけでなく、古着屋、古本屋、骨董屋なども多く、店主のこだわりがただようお店が多い。
ひとつしかないお気に入りのものを探しに、またはお気に入りの空間を見つけに、一日うろうろと歩くのも楽しい街だ。
この街の近くに育ち、昔から一番身近な繁華街だったけど、仕事場をこの街に移し、過ごすようになって数年、街がだんだん近く見えてくる。
本当に不思議なことだけど、この街の人たちは、新しいお店ができたらお客を紹介し合ったり、あのお店に行った?と情報交換をしあい、それぞれのお店を行き来し、街で会ったら挨拶をし、さまざまなイベントをめいめいに開催し、この街で生きることがなんだか楽しげだ。
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なくなる駅の前で演奏する、楽しげなタイ料理屋ティッチャイの二人。
地下化する最終日の駅前の看板。街を愛する気持ちが伝わる。
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その下北沢の街で、クリスマスイブに「小径のノエル」というイベントがあった。
今年4回目を迎えたこのイベントの事務局としてお手伝いをした。
「小径のノエル」は下北沢で、クリスマスイブにキャンドルを灯すイベントで、そんな知り合いのお店同士からはじまり、つながりがひろがり今年は18のお店が参加した。
古本屋さん、雑貨屋さん、カフェ、飲み屋などの個人店が中心だ。
こだわりのただよう店先に7組のキャンドルアーティストの方にご協力頂きキャンドルを飾って頂いた。そして、暖かなキャンドルの灯りを道しるべに街を歩き、下北沢らしさやそれを支えるお店の存在を身近に感じて頂けたらというのが主旨のひとつだ。
クリスマスの意味はいつしか、消費の日みたいになっている。
人々で大勢賑わうキラキラのイルミネーションの中に出かけ、いつもより高価なレストランで食事をし、贈り物を送りあう、または子どもたちの枕もとにそっとプレゼントを置く。
”クリスマスはもともと、太陽の光が最も弱まるこの季節、生命の再生を願う人類の古い古い祝祭でした。”
太陽の光が弱まる中、死者の霊がやってくる、そんな死者に贈り物をして、彼らが喜んで立ち去ってくれるようにする。いつしか、生と死の 媒介者としての子どもたちに贈り物を贈ることになったそうだ。そんな贈りもの(贈与)には「贈与の霊」が込められ、霊の力によって世界の調和を願うそう だ。
「小径のノエル」は、そんなクリスマスの起源にも想いを馳せようとの意味もある。
迎えた当日、キャンドルの暖かな灯りが灯ると、私の顔がゆるむと一緒に、お店の人たち、道ゆく人たちの顔も笑顔になった。
寒空の中だったけど、ひとつひとつのお店を巡り、キャンドルの火を見つめた。ぬくもりのある火を見ていると、こころがふわっと暖かくなっていくのを感じた。道行く人も、キャンドル越しに見える窓辺のパーティの様子もとてもあたたく見えた。
まるで街に魔法がかかったみたいに感じた。
キャンドルの灯りが、そこに眠る、潜む、いつもは少し恥ずかしげに隠れてるなにかを、ふわっと浮かび上がらせるように感じた。この街のぬくもりある人と人とのつながり、キラキラではなくとも新しくなくともお気に入りのものを大事にしたい気持ち、小さな店の並ぶ小径のつづく街を愛する気持ち。
参考:小径のノエル http://komichinonoel.info/
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クリスマス前の冬至の日、朝日を見にいつもの場所に出かけた。
この屋上の建物は、私が生まれたころ住んでいた場所で、駅の反対側に引っ越してからも、眺めのよいこの場所にはたまに来る。ここ数年、春分や夏至など季節のポイントに朝日を見るようにしている。
冬至のこの日は、透き通った空で、朝日もきれいに見ることができた。
日の出とともにカラスが空へ高く舞った。
しばらく朝日を眺めて、後ろを振り返ると富士山がとてもきれいに見えた。富士山の横に雪の被った山々もきれいに見えた。
こんなにきれいに見えたのははじめてかもと驚いて、しばし朝日の当たる山の稜線を眺めていた。
昔、関東では、富士講と行って、山がもたらす恵みに感謝し、富士山に詣でる習慣があったそうだ。山へ登れない時も、自分の居場所から山を拝んだだろう。いつからか、家々に囲まれ、空が狭くなってしまったけど、ここいらも昔は畑や林だったそうだ。
山は今よりももっと近かったのだろう。
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今年、社会の流れでは、気持ちが休まらないことが続いた。
12月のはじめには特定秘密保護法案が可決されるかもしれないと、毎日のように国会へ足を運んだ。
夜遅くまで続いた抗議に、めげずに声を上げ、立ち続ける人たちとともにいた。可決されてしまう瞬間にも、固唾を飲んで見守った。
その時の力強い抗議の声が今も心に残る。
これからも、しばらく気持ちの休まらないことが続くだろう。
冬至の日に澄んだ空を眺めていても、そんなことが想い浮かんだ。
そんな時ふと、私のそんな気持ちとは関係なく、この朝日も富士山もずっと前から変わらずにあることに気がついた。
世界の片隅で、街の片隅で、変わらず朝日が昇りつづける、季節が巡る。その中で、なにかを願う気持ち、大事にする気持ち。そのひとつひとつの声が、大きくとも小さくとも私の中に灯のように消えない。
この通信は、下北沢通信?東京通信?
まだ、よくわからないけど、下北沢通信にしとこうか。
書いているうちに年が明けた。あけましておめでとう!
それでもなお、消えない灯りを道しるべに、感じることを伝えていけたら。