Portland通信 3

1.6.14 瀬高早紀子

三日坊主。二度あることは三度ある。石の上にも三年。
サン、という数字には何か節目、区切り(諦めともいえる)の基準となっていることが読み取れる。
三秒ルール、だってそうだ。三秒以内ならオッケー。地べたに落ちたビスケットに触れたほこりや砂や目には見えない汚物は、毒にならない。それらは空気のなかに消えていく。心のなかでなかったものとして消えていく。三秒マジックとも呼びたくなる。

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この日記を書いているいま、日付は1月の3日~4日へと変わった。歳神様をお迎えし、お見送りする3が日も過ぎ去った。
今年も見事に”サン”の云われは全うされた。早起き、家計簿、日記、瞑想。すべて三日坊主を待たずしてあいまいにもみ消された、”果たされぬ”マイ理想の習慣。
前置きがだいぶ長くなったが、このブログは無事に三回目をむかえることができた。自分、よくやった。きっと第三回を突破できたということは、これからもこ つこつと続けられるのではないか!すでに挫折を経験した2014年の年始。自分に、いまだ望みがあることを喜ばしいことだと捉えている。前向きに。

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*改装中のお店の前にあったクリスマスツリー。このいい加減さがたまらなく好みだった。
メリークリスマス! そして 明けましておめでとう!!
その瞬間を逃しましたが、みなさん今年もよろしくね。
ブログに対する躊躇として、こういう言葉が行き場がなくさまよっているんじゃないかという不安というか疑問があったのだけど、
少なくとも特派員という仲間たちがいるのでこの言葉もちゃんと定着地点を見つけているはず。
ちょっとやっかいなひねくれ具合でシャイ、ときに超現実主義の特派員にはオムニプレゼント ジャーナルのこんな安心感がたまらない。


3年目の冬、ポートランド。

今回、はじめて自分の家族になる人たちと過ごしたクリスマス前からのホリデーシーズンは、どこか日本の正月のようだと感じた。
早くツリーを用意しないと。リースを飾らないと。という師走の焦燥感は、門松や注連縄に置き換えられるし、イブからの数日は親戚に会いに出かけたり、他の街に移り住んだ旧友たちがたずねてきたりする時間もそう。
以前は、クリスマスはその口実にのかってごちそうとケーキを食べてイエーイって言ってられる日、またはあらゆる欲を解放してもよい日と勝手に定めていたが、もっと親密で真剣なクリスマスを少々、見直してしまった。
わたしの仏教並みに、ゆるめクリスチャンの一家は教会にお祈りにいくわけでもないが、クリスマスの間はツリーのライトとろうそく、暖炉の灯だけを頼りに、火のまわりに集って食卓を囲む。
Thank you note を贈り物とともに交わす。クランベリージャムや、タータンチェックの空き缶につめたチョコレートなど、手づくりの赤を交換する。
彼らが子どものときから毎年ひとつは手づくりのものをつけ足してきたオーナメントはツリーには飾りきれないほどで、地下に何箱もストックされていた。
消費主義の罠だ、と毛嫌いしていた時期もあったクリスマスだが、こんな一面を目にすると、モノゴト、肯定さがしをしてみるのもいいものだ。わたしも夜な夜な(なぜか冬の手づくりは、夜がいい)、何か作りたくなっていた。

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*96歳のばあちゃんからは、手づくりのクランベリーソースとチョコレートファッジ、クランベリーとナッツのケーキのプレゼント。

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*冬至祭が起源といわれるヒンメリを作った。

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*オレンジにクローブをさしていくポマンダー。防虫と芳香剤を兼ねているけど、魔除け代わりにクリスマス前から家族で作る、という風習もある。うまく乾燥させられれば一生もの。20年以上のものがクローゼットで横たわっていた。

でもまだまだクリスマス疑問への名残はあった。
クリスマスツリーの存在である。
子どもの頃、プラスチックのフェイクツリーで育ったわたしは生のもみの木を自分で選んで家に飾る風習を、素敵、と思ったのも束の間、
オレゴン州だけでこの時季、700万本以上が消費される、という現実を想像してぞっともした。
ツリーを積んだ親子連れの車が行き交う風景や、「Local grown trees by local farmer」と書かれた看板、街中の駐車場に突如、現れたツリーマーケットは、微笑ましくもあり、むなしくもあり、”ローカル”という言葉が結ぶ矛盾も感じた。
で、わたしたちはどうしたかと言うと、結局、近所の駐車場で売られていた35ドルのツリーを手に入れた。それは「初めての家族でのクリスマス。日本で生木はめずらしいそうだから」という家族のはからいというか思いやりでもあって、わたしの複雑な気持ちも承知してのこと。
80年代から時が止まっているようなファーマーのおばちゃんがトリミング(長く伸びた枝などを好みでカット)を提案してきたが、わたしたちはその一切を断り、一緒に家に連れて帰った。image*夏場はファーマーズマーケット会場になっている場所がにわかツリーマーケットに。
おばちゃんに刈られるはずだった部分はリースにして玄関や棚に飾った。ひと枝にリボンとオーナメントをくくりつけてミニチュアのツリーをテレビのわきに立てかけた。
imageわたしたちのツリーは一日1リットル以上の水をごくごくと飲んでいたが、2014年になり、3が日を過ぎ、水をあげるのをやめた。
そろそろお別れの時期なのである。でもただではさよならしない。毎週、月曜の朝にごみ収集車が持っていってくれるのは知っている。いま、うちの窓辺という 窓辺で、もみの木のブランチの実験が行われている。水に差して根が生えるのを待っている。そしたら庭に植えてあげて、今年はこのツリーと過ごすのだ。
そんなことが可能なのかはわからないし、先回りして検索してみるつもりはない。ただ期待している。今年が無理なら、来年、再来年、、、。石の上にも三年。元旦に決めた目標。「人間を含むあらゆるいきものを循環、還元させる」image*根は、生えてきてくれるでしょうか。
追記:クリスマスの翌日、通りかかった家ではクッキーを1枚25セントで無人販売。クリスマス後のおすそわけのようだ。

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刈っては捨てられていくツリーに反対の人も多いのか、ボーイスカウトや高校生、環境団体によってクリスマスツリーのリサイクルが行われていることがわかりました。
さすがオレゴン!