5.15.15. 瀬高早紀子
楽しいことして生きて行くって無理なこと?
相も変らず、海を超えてやってくる人を迎え入れている。そんな中でうすうす気づいてきたことがある。ただの観光の人は1割程度、もしくはそれ以下で、日本人の多くは、なんだか生活を大きく、根底から変化させたいと気づきだしている人たちが多く訪れていることである。だからこそ彼らは「どうやったら住めるんですか?」「今度は暮らしに戻ってきます」とけっこう真剣に、またはさらっと言ってしまうだけに驚いてしまっていたりする。
彼らが求めている暮しは、朝はまあまあ早くに起きて、ストレスなく仕事ができて、6時には家についてごはん作って食べて、夜は本でも読む余裕があって、寝る。こうして書き記してみると改めて平凡なことだったりする。いますぐできそうなのに、それができない、しにくい社会というものがはびこっていて、自分ひとりで、6時前にしれーって帰りにくいらしい。分かる。分かる。

4時くらいのダウンタウン。ピザとビール。昼ごはん?
「全米一住みたい街No.1」がポートランドの枕詞となりつつあってしばらく経つ。環境に優しい。食文化の高さ。歩行者、自転車にやさしい。治安がよい。文化度が高い。自然が近い。ざっと聞こえる理由はこんな感じか。「タトウーがあろうと、髭をいくら生やしていようと、ゲイであろうと、それが仕事に就けない条件や行き辛い理由にはならない」というのはとても印象的な移住者の言葉。アメリカなら普通じゃないかと思う方もいるかもしれないが、一歩ポートランドの外を出れば、それとは真逆な価値観があたり前である。
一方で「若者がリタイアしにくる街」という形容詞を言葉尻にのぞかせ、眉間にシワを刻む人も少なくない。だいたい世間一般でいう「まともな」仕事についている人たちだ。この一節は、ポートランドの「あるある」現象、日常をコメディ化したTVドラマシリーズ『ポートランディア』の第一話、冒頭でのシーンで述べられたもので、ドラマの人気度を追い越す勢いで流布したような気がする。
「“90年代の夢”がまだ息づいている街がこのアメリカに未だ存在しているんだぜ」、ってLAのカップルが興奮気味に語り合っているのがまた皮肉でもある。カリフォルニアはオレゴンにとって、昔から一線を引きたい対抗意識のある州。「金に目がくらんだ奴らがゴールドラッシュ目当てにカリフォルニアに行き着き、自然の雄大さに価値を見出した我我、オレゴンに定住したんだ」。そうやってオレゴニアン魂を自負する人たちを見越したかのような一幕。ちなみに、70年代、サンフランシスコで花開いたヒッピームーブメントだが、真のコミュニティ、共生を求めた者ものが最終的に辿り着いたのも、実はオレゴンと言れている。
住みやすい街であることと、若者がリタイアしに来る街というのは、“似て非なる”の反対、非のようで似ている。住みやすい街である要因は先に挙げたように諸処あるが、結局はそれらの要因によって一人一人が無理なく、自分が好きなことや楽しいことをやれる環境にあるからなのではないか。髭がもじゃもじゃだろうと、それは一スタイルとして認められているだけで、プラスでもマイナスでもない。自分のありたい自分のままで(外見)、やりたいことに挑戦できる(内側)地盤がある。リタイアと称されてしまうのは、彼らがやりたいことをやっていることへの世間からの反感と嫉妬、皮肉でもあるのかな。最もティピカルにたとえられるのが週に3回、飲食店やコーヒーショップで働いて週に半分はバンドやイラスト、ネット関連に時間を注ぐ。これが端的にいうと、リタイア(らしい)。実は私もそこに入ってしまう人種ではないか。たまに書き物して、たまに人案内して、たまに味噌作りして、たまにできないのにニットチャットの会(編みものしながらおしゃべり)に参加して、料理作って写真撮って、何か手伝ってと言れたらできることで手伝う。何している人? って一言ではいえなくなってきているが、それでいいと思っている。 そういえば海を超えてきた旅人にもよく聞かれる。みんなこんなに楽しそうだけど、本当に働いているの? どうやって生きているの? って。楽しく働くって、ちょっと前は「あり得ない、あり得ない」って諦め感が漂い、週末にお買い物、または飲んで発散ってのがあったけど、ここ最近では「どうやってそれができるのか?」と可能性が前提としてある。

バーのテラスでゲーム持参。平日午後3時。
「仕事と呼べるかどうかは、自分のやる気と奉仕度合いに順応し、経済的効果はそれに伴い、集まってくるもの」という基準を勝手に設けた。つまりやりたいことやってたら、お金にもなっていた。そんな実験をしないとやってられないぜ、と想い至って08年にフリーになったが、その志し、甘く。’10年の衝動的、このままじゃヤヴァイ! 気が再来して’11年に渡米。諸事情あるが、それぞれに合った土地があると思うのだが、私にはポートランドがそんな実験の場にふさあしいようなにおいがしていた。
それでも現実、徹夜して、目の下真っ黒にして、ごはんも適当になってへこんでいることもあって、にらめっこ状態のパソコン、ぱたんと閉められてしまったこともまあまあ、ある。
徹夜するのは別にいいのだ。いまでもしているし。したいからしている。興奮してやらずにはおれないから、している。ただ、生活が適当になって優先順位がめちゃくちゃになってしまって結果、ハッピーではない、という失敗に終えることもあった。でも失敗は学びの始まりといったもので、ようやく落ち着いてきた今のバランスはなかなかよい。仕事であるかどうかではなく、生活のなかで大切なもの順にそって、できつつあるから。庭仕事や家族の誕生日や夕方のビールが、“仕事”と同等の要素になっているから。
楽しいこと、仕事にするって、苦労や努力も、心から楽しいことに変換できるってことなのよね。そう思っていいんですよね? 私はポートランディアならぬポートランダーのそんな心意気を持つ方々を先輩と慕っていた。仕事がなきゃ、つくればいいんじゃないの? ってここに来て、ますます思うようになっていた。
が!
事体が変りつつある。どうやらね。
毎週400人、500人ともいわれる移住者。2030年までに30%の人口増加によって現在の60万人から100万人都市になるという想定のもと、街作りがすすめられている。行政の見解では50年規模で開発がすすめられているから、まだまだ人口流入にも余裕あるよってことなんですけど、ほんとにほんとーに? 大木が伐採され、東京の新興住宅地のようなスキニーハウスが建てられ(一軒分の敷地内に3軒)もちろん裏庭なんてものは猫の額もいいほどだ。材木屋さんが追いやられ、テック系が巨大な倉庫を占拠する。うん、そりゃ経済効果は上がるだろうね。
そして例にもれず、カリフォルニアからの移住者(だけじゃないけど、あえてね)は、とにかく安い安いと家を購入しているようだ(現金で定価の1200万も高く支払ってその権利を得る人も)。最近、衝撃だったのがポートランドの移住の最大の目的が「20代で家が買えるから」。ただそれだけだったこと。彼女は結局、ここ一年で高騰したポートランドの家の高さを目の当たりにし(1.5倍〜2倍とも)、バリスタとしてポートランドでもやっていきたいという気力もあっさり消去し、全く異業種のお金のためだけに働く仕事についている。「サンフランシスコで家が買えるほどだったら、迷ず、サンフランシスコに留まっていた。あそこが大好き」という彼女は、持ち家を持つことを第一条件にポートランドに来て、それを成し遂げようと、好きなことを犠牲にしているのか? それは私が断言できることでもない。家を手に入れようが入れまいが、この街に住みたい、と思えるようになれたら、本当に幸せな環境が揃ってくるような気がするけど。
しだいにしだいに子どもたちは、小さな時間貯蓄家といった、顔つきになってきました。
やれと命じられたことを、いやいやながら、おもしろくもなさそうに、ふくれっつらでやります。
そしてじぶんたちの好きなようにしていいと言われると、こんどはなにをしたらいいか、
ぜんぜんわからないのです。
『モモ』ミヒャエル・エンデ著より

これも仕事といえる。
次回はサードウエーブと深夜残業は共存しない、などについて考えてみたいと思う。