9.16.15 石井文得
辺りは秋の色、空気、空。
北カリフォルニアはトリニティー郡に戻ってきた。
6月末東海岸からまた横断を始め、この土地には夏の始まりに到着した。4年前にも滞在した、ビンテージのキャンピングカー。そして大きな樫の木をアンカーに友人が建てたすぐ外のデッキ。この下を小川が流れて、耳を澄ませば水の音が聞こえる。
朝早く起きて、肌寒い中ブランケットにくるまり、いろいろな鳥が飛び交う中、コーヒーを飲みながら本を読む。幸福だ。
一ヶ月半程前に、友人達とスイミングホールへ泳ぎに行った。30分程カーブの多い道を行き、友人の運転する四駆輪のトラックは、急降下山道でも平気で往く。そして軽いハイキングをすると、この美しいスポットに辿り着く。
ガイドブックには出ていない、地元の人がこっそり教えてくれた、最適のスイミングスポット。
この日は10人程のグループで出かけた。こんな田舎町でも、脱都会をした友人が多い。大工、ミュージシャン、カメラマン、アーティスト、キノコ博士、職種もいろいろ。
夕方になって少し天気が崩れてきたので、来た道を引き返し、車に戻ると、稲妻があちこち見える。
この日この辺りで落ちた200ほどの稲妻が、山火事を引き起こした。
雨無しに落ちた乾いた稲妻は、干ばつで悩まされる西海岸のあちらこちらに火事を発生させた。数日後、すぐそばまで迫ってくる炎と煙に、現地の生活に慣れていない私達は、パニックになる前に冷静に楽器と最低必要減の洋服のスーツケースをバンに詰めて、この土地を予定より一週間早く去った。
なんと不思議な気分だろう。火事になったとき、何を持って行くか。
正直、ギリギリになったとき、あまり欲張っていろいろなモノを持って行きたくなかった。
この後、カリフォルニア州でツアーを組んでいたので、ベイエリアからサンディエゴまで移動しながら一ヶ月暮らした。持ってくれば良かったのもの、、、。それは炊飯器。次の非常事態は必ず炊飯器を持参しよう。
川で泳ぐ生活から海で泳ぐ生活に。10日間程、ツアーメートだったプレストンのお家で暮らし、毎日海に泳ぎに行った。
サンディエゴは、一年中温かく、最高気温も他のカリフォルニアよりマイルドで、夜は涼しい。アメリカ中でも、最も理想的な気候だ。
1ドルちょっとのフィッシュ・タコ。このトラックには毎日通った。週一で生ガキ1ドルのレストランも見つけた。
老若男女サーフボードを抱え、ここに住む人達は優先順位が明らかだ。
それにしてもハドソンを去るとき激選した私達の一切の所有物は、この北カリフォルニアの友人の納屋にキープしていたので、もし、ここに火が回ったら、私達は殆ど何も所有しなくなる。
後に残したもの、再び買えるものはとりあえず良い。写真のネガや絵、祖父母の形見をぼんやり思いながら、毎日火の廻り用をチェックしていた。私達の電話はこの土地では繋がらないので、逃げ出す時、どのような状況なのか殆どわからず、勘に任せてとりあえず次の大きな隣町まで2時間程逃げた。
数日前まで、静かな山の暮らしで、現地の友人とBBQをしたり、泳ぎに行ったり、音楽を弾いたり、憩いの時間が続いていたが事態は一変した。
火事が納まったのは一ヶ月後。幸いにも、この火事は山火事シーズンの始めに起こったので、多くの消防士が出動し、他の土地よりも早めに鎮火された。といっても、この一ヶ月の間、住民は煙の中で生活し、家を失う人々もいた。
そんな山の暮らし。
今日は久しぶりに雨。一昨日もやっと待ち望んだ雨が降ったけど、30秒程キャンピングカーに雨音が響き、すぐ止んでしまった。
3時間程南に位置する地域で、また山火事が発生して、この数日は、この辺りにも煙が廻ってきた。一昨日は新月で、星は煙に隠れ、夜は真っ暗だった。
ソーラーパネルで電気を賄っている生活なので、曇ると電気が使えない。(コンピューターはこうして近くのカフェにて、使用している)
夜はロウソクをともし、ヘッドランプで読書をする。
シャワーも川で泳ぐ日は、スキップ。
こんな近代の生活。
キャンピングカーの近くを、ウズラの大群がざわざわちょこちょこ行き来する。彼らはシャイなのか、臆病なのか、人間の足音を聞くと、一旦足を止め、直ちに逃げる。その姿もとてもかわいらしい。
ウズラといえば卵。でも一旦彼らの姿を見れば、この頭の上の羽がトレードマーク。
先日は若い雄鹿が辺りを徘徊していた。一人作業をしていた私は、そっと彼の後を追った。
美しい。動物世界の中で鹿が一番神に近い生き物だ、と友達が言っていたのを良く思い出す。
来週から始まる私の憧れウィル・オーダムとのツアーに向けて、毎日Dとリハーサル、朝はデッキでヨガを、そして日が沈むと山道をランニングする。暖かい時は川で泳ぐようにしている。
オークランドのダウンタウンの公園の池の周り3マイルを走り出して、サンディエゴでも坂道を走り、この山道も、大きな空を見上げて走る。
走ることで、どこにいても、自分のコアーな部分と繋がることが出来るように感じる。走る時は、私ひとり。呼吸を聞いて、体の変化を感じ、大きな世界の中で存在するその日の私。
続く