2017年8月7日 森咲子
2015年の秋ごろから、経絡指圧と東洋医学の勉強をはじめた。
その数週間前、危篤になり入院中だった祖父に会いに鳥取へ帰省中、祖父と、それから膝の調子が悪い祖母になにげなくマッサージをしている時、ふと自分はこういうことがやりたいんじゃないか、という思いが突然生まれた。
8年間ぐらいやっていたピアノ調律と修理の仕事は、大好きだけど自分の体がしんどくなってきていた。体に関わることをやろうと思いながらアメリカに戻ってきて、色々調べたりしていたら、ものすごい縁と運に恵まれマサチューセッツ州に住む日本人の指圧師のところへ習いに行けることになった。
何かよくわからないけど、やらないとダメだという直感のみによって動いていた。決断したというよりは、やってきたものに必然的に乗り込んだ感覚だ。たくさんの小さな流れが集まりひとつの川になるような、大きな流れを感じた。
今思うと、このはじまりが自分にとって、東洋医学や指圧の本質をあらわしているように感じられる。
直感や本能的な感覚を大事にすること、世界に耳を傾けること、これはという瞬間を逃さないよう、窮屈になりがちな頭のなかを飛び出し、全身を使って見る、感じる、聴く、反応すること。そして直感や本能が大いに活躍できるよう、技術や知識を身につける。勉強していくと、とにかく直感が一番大事だと繰り返し色々なところで聞く。そう言い切れるのがすごいし、大好きだ。今の世の中で重きをおかれていない部門のトップではないだろうか、直感。
それから勉強し始めて改めて感じ入ったのが、東洋医学においては、悪いところをピンポイントで消すことにエネルギーを注ぐのではなく、全身のバランスの歪みを見て整えることで病を治したり予防したりするところだ。全体のバランスを整える、というところが、ピアノの調律を思い起こさせた。歪んだりズレたりするのが自然なものを、わざわざ束の間だけでも整える。一番大切なのは完璧に整った状態ではない。歪みを感じられる感応力と、調和させようとするエネルギーのほうだ。

陰と陽の経絡図。覚えるために描いた
はじめの1年間は、基本の動作や流れを覚えるのでいっぱいいっぱい、ようやく去年の秋ごろから、練習のためにまわりの人達にいっぱい指圧を受けてもらい、お返しに自作の野菜、パン、ハーブ、アート作品、家具などをもらったり、他の色んなマッサージ師とトレードしたりしながらやってきて、今では少しずつだけど仕事になりつつある。州によって多少違うけど、ロードアイランド州では指圧のための免許は存在せず、指圧は「オルタナティブ療法」に属するので、マッサージと呼ばない限り免許は必要ないことになっている。専門学校を卒業して国家試験を受け、免許を取らないと仕事できない日本とは、かなり違っている。自分のまわりにはShiatsuといえばなんとなくわかる人が多いのも、やりやすくてありがたい。

指圧を受けに来る彫刻家の友人による、指圧中の彼女のおなかの図
先月は、友達が運営する畑で、ファーマー達のための指圧の日をさせてもらった。馬小屋だった古い建物がきれいに直され、今はヨガや瞑想をするスペースになっているので、そこを使わせてもらった。
ひとり45分ずつ、今回は6人しかできなかったけど、畑作業の合間に泥だらけでやってくる彼らに、次々に指圧をした。とても楽しかったし、こっちが元気をもらったし、おまけに採りたての野菜まで沢山もらって帰ってきた。
指圧をやっていておもしろいことはたくさんあるけど、特に自分にとって興味深いのが、音楽とのかかわりだ。指圧をやるようになってから、音楽の聴き方、演奏の仕方、全体的な音楽への取り組み方が、確実に変わってきているなと感じている。次回はそのことについても書いてみたい。
咲子ちゃん 新たな出発、おめでとう!ピアノと同様、自分の指を使って、人々に奉仕するお仕事。きっと音楽にもとても影響するはず。直感が大切なんだね。そして咲子ちゃんは感も良いのでしょう。
今後、経験と勉強が積み重なって、素晴らしい指圧師になる姿が目に浮かびます。肉体労働で大変だと思うけれど、楽しみに応援してます。コミュニティーを助けて、バーターでのやり取り、そんな社会がもっとどこでも身近にあったら、世界も、人々の心にも、もっと平和な状態が訪れるはず。プロビデンスを訪れるの、とても楽しみです。私も自分なりだけれど、咲子ちゃん、マッサージするよ。その時はアドバイスよろしくね。